トップページ > サイト名

講堂跡の状態について


現在はその建造物の形を見ることはできませんが、
しっかりとその痕跡である基礎が残されています。
講堂(こうどう)跡と呼ばれている
その場所は藤原基衡が建立したと言い伝えられています。


文治5年、平泉寺塔以下注文にも記されている建物となっています。
今現在、この場場所が、講堂跡とわかる遺跡としては、大泉池の北側、
金堂円隆寺跡の西北方、嘉祥寺跡の東北方見ることができます。


東西に約83尺、南北約80尺のほぼ正方形の土壇となっています。
壇上を見てみると、十数個の礎石が残されています。


講堂跡を分析してみると、金堂円隆寺の北側の柱筋と、
ほぼ一直線上に存在しているというのです。


このことから、講堂は金堂と
何か理由があって、一緒に建造されたのではと考えられています。


講堂跡の十数個の礎石を見てみると、
なんとも寂しい気持ちになってきます。


以前はこの上に豪華な講堂が建てられていたわけですから、
大変残念に思います。


現代人がすべきことは、こうした残された
文化財をいかにして守っていくかということだと思います。


雨や風によって、年月が経てば
必ず劣化していってしまうのが建造物というものなのです。
しかし、古いものをしっかりと保全していくことができれば、
後世にも大変良い影響を及ぼすことができると思おいます。



この場所に立ち、この場所に造られていたであろう建造物のことを考えてみる。
こうすることで、当時の息づかいがふいに聞こえてくるかもしれませんよ。

旅先でお金に困ったらココへ!

フクホー株式会社

B級?スポット

毛越寺(建造物)

平泉文化遺産